SUBARU AWD BIRTH STORY宮城スバルとSUBARUのAWD開発秘話
SUBARUのAWD開発は、1970年、東北電力様からの依頼をきっかけに始まりました。
東北電力様は電力設備の巡回保守点検用に海外から輸入した四輪駆動の幌付きトラックを利用していましたが、燃費や乗り心地が悪くて冬は暖房が効かずコストも割高だったため、軽量で燃費がよい乗用車タイプの四輪駆動車を探していたのです。
「ニーズがない」との理由で自動車会社に断られ続けた東北電力様は、この依頼を富士重工業の特約店である宮城スバルに持ち込みます。
宮城スバルは、前輪駆動(FF)車である「スバル1000バン」に他車の後輪駆動機構を追加するなどして改造し、約1年をかけて四輪駆動車のプロトタイプを完成させました。
宮城スバルは実用走行テストを経てこの車両を富士重工業に持ち込み生産化を提案。富士重工業の技術陣は直ちに設計・生産にとりかかり、翌1971年の東京モーターショーで「スバル1300Gバン 四輪駆動車」を出品しました。
コンパクトな水平対向エンジンを縦置きに搭載し、その後ろにトランスミッションを配置した前輪駆動車のスバル1000。これに後輪駆動機構を追加するによって、シンプルな構造で四輪駆動を実現することができました。
この左右対称・一直線にレイアウトされた構造は、現在に続くSUBARUの独創的かつ合理的なコアテクノロジー「シンメトリカルAWD」の原点となったのです。
※富士重工業は現在の株式会社SUBARU
参考:株式会社SUBARU Facebook